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思ったこと、いろいろ

鬼門の2月〜3月

思えば2月から3月にかけて不調になりがちだ。

そんな今も絶賛右足痛でランニングは休止中。

 

高2の時、駅伝シーズンが終わったこの時期に右足を筋肉だか腱の炎症を起こして、走れなくなってた。

大学1年の時はシンプルに胃腸の調子を崩して絶不調だった。

社会人1年目は急激にランニングを再開したせいで、歩いても痛みが出るほど腸脛靭帯を痛めた。

社会人2年目はストレスがMAXに達したからか、謎の腹痛、肌荒れ、不眠が続いていた。

社会人3年目は尿膜管遺残症にかかり、これまた立っているのも辛かった。

そして、社会人4年目の今年はオーバーユースなのかケア不足だったのか、右足裏のアーチが崩れ、ランニングを休止中。

高校以前の記憶はあまり残っていないけど、きっと調子が悪かったのだろう。

 

2月から3月にかけて身体に不調が現れるみたい。鬼門だな、この時期。

鴻巣パンジーマラソン(ハーフ)に参加しますた

今シーズン最初で最後のハーフマラソン鴻巣パンジーラソンに参加してきました。

完走した感想やコースレポート等をだらだらと書いていきます。

 

 

前置き

昨年の4月から(一応)本格的にランニングをし始めました。*1ただし、計画立てて練習し始めたのは9月半ばからです。それ以前の準備期間*2があるとはいえ、約半年の成果と捉えて見てください。

 

リザルト

記録 1:17:11(ネットタイム) PB

 

まぁPBといってもハーフの出走自体が2回目なのであたりまえですが…

Garminの自動ラップとペース推移はこんな感じでした。

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コースレポート

高低差はほとんど感じませんでした。非常にフラットなコースです。記録が狙いやすいコースではないでしょうか。そう、記録が出るコースだと思います。風がなければ春の嵐なんて言葉の通り、風が吹く日がある季節です。ただし、この日の風はハンパなかったです。マジで嵐でした。途中で走るのやめようかとも思いました。予報では風速10mと出てましたし、実際平均風速7mほどだったという情報も後で聞きました。

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こんな感じで風が吹いていました。ほとんどの区間で向かい風か横風という感じでした。向かい風は進まない、横風では体ごと持ってかれる感覚でした。*3あとは事前情報通り、14キロ~17キロあたりで差し掛かる新幹線の高架下の区間はがキツかったです。まぁコース後半で諸に向かい風を受ける訳ですからそりゃしんどいです。ここを我慢できるといい記録に繋がるのではないでしょうか。

 

レースプラン

今回、タイムとしては80分切りは最低ライン、77分台を出せればと思っていました。ここ2、3ヵ月の間に出した5000mと10kmのタイムから算出したVDOTから見るとかなり現実的な、安全策な目標でした。基本的には3'40~3'45のイーブンペースで刻んでいって、後半余裕があればしっかり上げる、というレースプランでした。

 

まぁ全部風にぶち壊されたんですけどね

 

結果だけ見れば、目標は達成できましたが、先ほどのラップの通り、イーブンペース(笑)でした。ぜんぶ風のせいだ。(JR SKI SKI)

あと、前回のハーフではゼリーで補給は一度とりましたが、給水を一度も取らず、最後にバテバテになってしまったので、暑くなくてもしっかり給水をとると決めていました。あとは補給を2種類,マグオンとアミノバイタル(アミノショット)用意しておき、補給は給水地点で(11.2キロ、15.4キロ)とると決めていました。

強風予報だったのでゴミ袋ポンチョを作っておきました。

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意図しないペース変動がひどい

 

完走した感想とか

スタート~4キロ通過

スタートラインは競技場内バックストレートの真ん中あたり。事前の申告タイムでブロック分けされており、76分(たしか)で出したため一番前のAブロックでした。競技場出るまでは少し詰まりましたが、殆どロスのない出だし。最初の1キロは3'30〜35ぐらいで入って良さげな集団を探そうと考えていた通りにいい感じの集団を発見。7、8人ぐらいの第2集団を形成。第1集団は3'20を切るペースで5、6人。あれにはついていけないなと思い3'40前後でいけそうな第2集団の一番後ろにつき、風よけさせてもらって楽にいこうと考えました。ただ正直そこまで人が多い集団ではなかったでいまいち効果はなかったかもですが…

4キロ通過~給水地点①(6.6キロ)

4キロ通過時のラップを見て落ちてきていたので、集団から自分を含めて5人ほどが前に出始めました。が、追い風もあり5キロからの1kmのラップが3'25まで上がって、6キロ過ぎで集団はばらけ、自分は離されてしまいました。まずいと思いつつも無理してついていかなくてもいいかと判断しました。6.6キロ地点でゴミ袋を脱ぎ捨てつつ給水。(めっちゃこぼしたけど)

7キロ~10キロ通過

そこから7キロ〜10キロが死ぬほどしんどかったです。この区間は田んぼの間のコースで遮るものが何もなく、風の影響受けまくり。加えて、集団がバラけてしまっていたので、風よけも使えず、8〜9.5キロあたりは走るのをやめたらどんなに楽かと何度も足を止めることが頭によぎりました。

給水地点②(11.2キロ)~16.5キロ通過

11キロ地点手前では予定通り補給(マグオン)をとったのですが、思いのほかねっとりしていて飲みづらかったです。(給水で流し込めた)*4若干バテてきたのもあり2、3人に抜かされ先行されてしまいました。

給水地点を抜けて角を曲がると再び横風をくらう形に。前との差は開かないものの数十メートル、例の高架下でこのまま1人だと風を諸にくらってしまうと思い、13キロを通過したあたりからペースを上げて、数十メートル先に見えていた2人に何とか14キロ過ぎで追いつきました。これが功を奏し、高架下の向かい風は風除けを使わせてもらいながら気持ち楽に走れました。*515キロ手前で再び補給(アミノショット)をとったけど、思いのほかゼリー感があり(塊がある感じで)これまた飲みづらかったです。*616キロ過ぎで流石に申し訳ないと思い、前に出て風を受けて走ることに。*7

17キロ通過~ゴール

そんなこんなで高架下の鬼向かい風区間を抜け、この後は向かい風になることはないと思うと、一期に気持ちが楽になりました。実際、17キロ通過後のラップが3'30を切るほどにペースが爆上がり。しかも17キロからの直線区間の途中にいたカメラマンにピースするほど余裕でした。

そこからは淡々と3'30前後のペースで刻んでいけました。*8また、このあたりから競技場に近づくにつれ沿道の人が増えていき、元気をもらえたのも大きかったです。20キロ通過後からもなんとかペースを上げ、競技場の入り口から200mほどをきっちりスパートかけゴール。

まとめと来シーズンの目標

あまりいいと言えないコンディションの中、今の実力に見合ったタイムが出せたので個人的には満足。しばらくレースはない予定なので、若干故障気味の右足をしっかり治すべく練習量は落とそうと思っています。

それから来シーズンはフルマラソン童貞を卒業しようと思います。思い立ってから5年越しとなってしまいましたが…あとは、トラックの記録会にも参加していきます。なんとかトラックでも5000m17分切りをし高校時代の自分を越えたいです。

いずれにせよ春から秋にかけてスピード練習をしていこうと思います。というのも、今の5000mの自己ベストから得られるVDOT上の予想タイムは

 

・フル 2:40:42

・ハーフ 1:16:50(1:17:10)

・10km 34:46(34:47)

・5km 16:46(16:46)*9

・3000m 9:40(9:46)

・1500m 4:28(4:42

()内はTTを含む自己ベストでいずれも12月~3月の間に記録したもの

 

となっており、明らかに1500mのタイムが遅いです。1500mのレースに出るかはさておき、5000mの記録を伸ばすにもスピードを磨いていくことが必要だと思っています。

 

筋トレ、しないとなぁ…

*1:競技志向で主にフルマラソンへの挑戦基礎作りとトラック5000mの自己ベスト更新を目指し、計画的にトレーニングとしてランニングをしていくという意味です

*2:ジョギングぐらいの感じでは一昨年ごろからするようになっていました

*3:横風では実際に道の端まで追いやられてました

*4:本当は事前に試すべきなんだけど

*5:正直そこまで風をよけれたわけではないけど、こういうのはメンタル的に効果があると思う

*6:なぜ、前もって試しておかないのか

*7:こっちの意図が伝わったかは分からんけど

*8:風よけで利用させてもらった人を置き去りにしてしまったので、若干罪悪感を感じてたけど

*9:基準

10kmのロードレース初参加 コースレポート

どうも、お久しぶりです。
全然更新できてないのはマジ余白の少ない生活してるからです、はい。

さて、今更過ぎですが、12月に出た加須こいのぼりマラソンの結果とレポートを。

ラップは(3'24-3'34-3'26-3'29-3'28-3'30-3'24-3'30-3'32-3'27)

10月に出たロードレース5kmのタイムが17:18でいっぱいいっぱいだったので、3'30/kmで35分もキツいのではと思ってました。いける気もしてましたが、距離が延びることを考慮し、3'35/kmイーブンで走って36分切りを目論んでいたので、上出来だった過ぎるぐらいでした。

以下、大会レポートという名の自分語り。*1

スタートはタイム設定ごとに〜45分、45分〜1時間、1時間〜に分かれていたので*2スタート15分前ぐらいにはスタート地点に向かい前から2、3列目ぐらいにしれっと並びました。

スタートしてからの直線は道幅が若干狭めで、スタートだけダッシュするイキリ高校生*3を避けながら前の方へ出ていく。前述の通り、3'35/kmペースでいく予定だったので入りの1キロは3'30と考えてました。楽に走ってたつもりが、3'24と少し速いくらいで、体が動いている感覚があったので、このまま3'30/kmペースでいけるところまでいこうと決断。先頭集団はもう10秒近く速くすでに見えず、周りのランナーも2、3人でそんなに余裕がありそうではなかったので、これは一人旅か引っ張る展開だなと予感。前の集団は10人程度だったので、15位ぐらいかなと考えながら走ってました。

1キロ通過後は少し抑えて2キロを通過、3キロ地点までは若干下る感覚もあり自然とペースがあがりました。このあたりで前の集団から落ちてきた1人を拾って3人の集団に。そして予感的中、ここから6キロ地点あたりまでずっと後ろに貼り付かれました。(後ろを確認したわけではないけど、足音がずっと聞こえてたので…)

花崎駅に向かう直線の道から途中で左折し、やや細めの道の住宅の間を通り抜けると、5〜9キロ地点まで高速道路脇の道でした。この区間に入った時に若干向かい風でこのあたりから少し余裕がなくなってきました。6キロ地点付近に給水があったが、後ろが気になってたのと、そんなに暑さは感じていなかったし10キロなら補給いらないと判断してスルー。

7〜9キロ地点の区間に3ヶ所ほど細かいアップダウンがあった。この辺からはラップにも現れているが、それまでの余裕はなくなっていた。それでも、上りは力を入れるポイントという考えのもと、最初の上りで後ろを千切り、2ヶ所目の上りで直前に捉えてた1人(高校生)の前に出た。9キロ地点手前でさらに前の1人(高校生)を捉えて再び3人の集団に。(案の定後ろを確認はしてません)

9キロ地点通過後左に曲がるポイントあたりでペースアップ。先に捉えてた子にはそこで多分差をつけたけど、後に捉えた子が粘ってついてきていました。ラスト500m過ぎぐらいのところで再び切り替えてなんとか前に出ていき、ゴール地点のある公園内に入り、そこからラスト200m付近からラストスパートをかけましたが、最後の曲がりが急で、中途半端なスパートになってしまいました。


ひとまず納得のいく結果を得られて一安心、という感じでした!

*1:そもそもブログ自体が自分語りか

*2:あくまで、目安。事前にナンバーで分けられたりはしてませんでした。後ろの方はもっと分かれてたかも

*3:地元の高校2、3校が校内マラソン大会という名目で参加してる

尿膜管遺残症 part3

ずいぶん間が空いてしまったが続き

1週間経つ前に痛みが我慢しきれなくなったので再び病院へ。
再度、排膿処置をしてもらうことに。何をしているのかわかる分恐怖感もあり、処置中の痛みに耐えていると
「取れそうだなぁ」
と医師が言いしばらくすると
「膿の塊が取れましたよ。また、同じようにストローで残った膿が出るようにしますけど、これで楽になるはずですよ。これ、今まで見た中で一番大きいかもしれません」

しばらくすると圧迫感やら腰の痛みやらがかなり楽になっていることに気づく。

その後、症状は何事もなかったように治っていきひとまず治療は終了。

4月に入り、1ヶ月も待たせやがった大学病院で診てもらうことに。そこで、これまでのことを説明した上で、再発のリスクは残っているので手術して欲しいと伝え。休みをまとまって取れるであろう8月に手術日を設定してもらうことに。
そこから4ヶ月の間に2、3度検査を受け、症状も特に出ることなく8月に。ついに入院。

入院は初日は手術前日なので、まじで一日中暇なだけでした。検査も採血と血圧測ったりぐらいでベットでゴロゴロして終了。

手術当日、朝食からは何も食べずに8時半ごろ朝一で手術室へ。全身麻酔で行う腹腔鏡手術*1だったので、仰向けになって麻酔が腕から打たれ、口にマスク*2をかけられて、何か話しかけられて答えているうちに意識はなくなり(ちなみに、麻酔が効いてきた瞬間すごい息苦しかった)、気がついたときには「終わりましたよ」と言われ病室で目を覚ましました。

無事成功、、だけど手術後は気分がめちゃくちゃ悪かった。看護師さん曰く、点滴で打ってる痛み止めのせいもあるとのこと。全身麻酔を初めてする人はそういう症状が出るということは事前に聞いていた。加えて痩せ過ぎだから負担がかかりやすいとも言われていた。熱もある感じだし、起きあがろうとすると腹筋のあたりが痛くて難しかった。となると寝ているしかないので、時間も分からないまま寝ていた。気がつくと夕方らしく、巡回してきた看護師さんから夕飯から食事できると言われた。確昨日の夜から何も食べてないから、空腹感が半端なかったので、夕食か準備されて意気揚々と食べ始め、一口米を食べた瞬間に戻してしまった。*3食事は無理。諦めて寝ることに。

翌日になり、多少気持ち悪さは治った。しかし、相変わらず起き上がるのは一苦労。その後医師に説明されたが、お腹の穴を開ける際、腹筋の部分も少し切っているからだ、とのこと。*4
血液検査を行なって問題なければ明日には退院とのことで、点滴が繋がれて不自由な状態で一日を過ごした。

翌日退院し、その後2日ぐらいは熱が抜けなかったが、術後10日ぐらい経った今日なんとか腹筋の違和感も少なくなってきた。

今回、思ったこと。
全身麻酔は身体にめちゃくちゃ負担がかかる。

P.S. 今の職場がまじしんど過ぎて全然更新できませんでした。あー早く異動したい。

*1:お腹のやや横から3カ所穴を開けて行う手術。開腹しないのでダメージが少なく手術跡が目立たないらしい。

*2:多分、麻酔と呼吸用。麻酔中は呼吸も自分でできなくなる

*3:置いてもらってたビニール袋に咄嗟に吐けたのはきっと飲み過ぎて吐く感覚を身体が覚えていたから

*4:しばらくは咳をしたり、笑うのも痛みが伴って辛かった。

尿膜管遺残症 part2

前回の続き。

 

MRIの結果を持って同じ病院に行ったところ、正式に尿膜管遺残症と診断されました。

「紹介状を出しますから次からは大学病院に行ってください」

とのこと。マジ?と思いつつ膿は止まらないので、翌日大学病院に電話。

コールセンターがなかなか繋がらないのにイラつきながらやっとつながったと思ったら

「予約取れるのは一番早くて4/4以降ですね〜」

この時3/15だったのでほぼ1ヶ月先。

4月から職場変わるし、予定もまだわからないんですけど…と思いつつしょうがないのでおそらくいけるだろうという時間設定で予約。

 

結局、抗生剤と痛み止めを1週間分飲み切ってもまだ膿は止まらない。止まらないけど膿の量も減って、落ち着いては来たしまぁ飲み切りでいいか。病院まで待つしかない。*1

 

ここで尿膜管遺残について。尿膜管ってのは胎内にいるころへその緒と膀胱とかが結ばれていた間の管の事で、へその緒を切った後成長とともに閉じていくものらしい。これが閉じずに残った状態のことを尿膜管遺残というらしい。尿膜管遺残自体はそれほど珍しいケースではないらしい。ただその何にも使われていないそのスペースで感染症などにかかるってしまうと今回のケースみたいに膿がでたりするらしい。*2

 

3・4日後、膿が止まらないどころかへそに腫瘍みたいなのができ、腹部に圧迫感、腰にも痛みを感じるようになりじっとしていても辛い状況に。

 

これは流石に4月まで待てない、と思ったので東京にある別の病院にかかることに。幸いその病院はすぐに予約が取れた。

翌日、歩くのもしんどいのに雨かよ、そんなことを思いながら東京の病院へ。

 

スムーズに診察に入り、じゃあ診てみましょう、と言われるがまま仰向けに。

 

膿が溜まっちゃってますね、と言われるとすぐに排膿処置に。いや、正確には何をするとも言われず始まったのだが。何がおこなわれているのかは見れない(仰向けだし当然だ)ので、どういうことをされていたのか分からないが、これが死ぬかと思うほど痛かった。麻酔もしていないので(多分この程度ではしないものなのだろうが)刃物で直接刺されるような痛みが続く。実際に刺されたことはないので想像でしかないが、本当に痛い。そして生理食塩水で洗浄。これも沁みる。説明少なにいきなり始められたので恐怖感と痛みに耐えながら、何とか処置が完了。

その後、改めてCTを取りどんな状態になっていたかを図で示しながら説明してくれた。ざっくりいうと、膿の出口の穴が小さく、溜まってしまっていること、感染のリスクがあるので炎症が完全に収まらないと手術は出来ないとのことだった。

なるほど、分かりやすい、けどそれ処置の前に言ってくれ。と思いつつ、排膿したおかげか圧迫感や腰の痛みはなくなりだいぶ楽になったことに安堵。それでも腫瘍が残っているのでへそ周りは痛かったが。

 

「膿を外に出すためにへそにストローのような管を入れてます」

は?いまそんな面白人間状態なのかよ??ウケる。

 

1週間後にまた来てくださいと、抗生剤と痛み止めを処方され帰宅。

 

これで一段落・・・とはいかなかった

*1:ここで薬を飲み続けるべきかを自分で判断したのがミスだったかもしれない

*2:人体の欠陥だ

尿膜管遺残症の疑い

はい、久しぶりに書きます。ここ3ヶ月、書くのを忘れてたわけではなく、書くネタがなかっただけです。もうすっかり暖かくなってきちまったぜ。

 

 

手術する羽目になりそう

 

 

発端は先々週の火曜日。週一で敢行してる帰宅ランニングをキメている途中、脇腹の差し込みとは違う感じの腹痛と違和感。

その時はお腹の張りがあるなぁ程度で特に気にしてなかった。

 

翌日、まだ張りが治らない。

もしかして便秘か?

そう思った。

というのは去年もこの時期ぐらいに便秘になってた。おそらくストレス性。

今そんなにストレスに感じてることないけどなぁ…

でもまぁ4月から勤務先が変わるという状況も同じだし?どこか心の底でストレスに感じてるのかもなぁ…

そんなこんなで1週間ぐらい○スピタンとかコー○ックを飲みつつ便秘の症状が続く。同時に下腹部が妙に痛い感じが続いた。

 

そして、この前の水曜日

 

朝起きたら、へその周りが膿まみれになってた

 

膿は一晩中で続けてたみたいで、へそから溢れる出て止まらなかった。

流石に異常に感じて、その日の夕方病院へ行くことに。

色々調べてみて内科にかかることに。

すると、医者から開口一番に

医者「簡単にいうとね、手術が必要になります。手術と言ってもね、簡単な手術だから」

 

は?????

 

医者「病名は尿膜管遺残症っていってね、まぁ癌には〜」

 

ん??癌???

 

怖すぎるワードに対するショックと早過ぎる説明についていけずその後は聞き取れなかった。

その後の触診でも、痛いって言ってるのにめちゃくちゃ抉ってきたから

ブッ○すぞコイツ…

クソ医者め…

などと思いつつ、診察終了。

しかも、結局その後泌尿器科の医者に通され、そこでも説明、触診を受けた。*1

 

明日、MRI撮って詳しく調べてきます。

*1:ここの説明も丁寧ではなかった。しかも、ここでも細菌を調べるとかいって綿棒でへそを抉られ激痛

あーねんまつ

どもども

今月のブログ書かなきゃという使命感を感じ、書かなきゃ…書かなきゃ…と思ってるうちに大晦日を迎えてしまいました。

というわけで、紅白は相変わらず口パクばっかだなーと思いながら酒盛りしてます。

今月は日々の労働に耐え抜きながら生きただけなので、特に書くことはありません。

あ、親知らず抜いて1週間ぐらい辛かったぐらいです。来月反対側抜く予定なのが憂鬱です。*1

今シーズンはスキーもほどほどの予定です。スタッドレスタイヤを廃棄してしまったのと家の事をほっといてスキーしまくるのが忍びないので…

 

さて、年末なのでね、月並みに一年を振り返ります。今年は親父に振り回された一年でした。必要に迫られ実家に戻ってきました。

まぁまぁ年末ぐらい愚痴らせてくれ。

まず親父の介護が気を遣う。親の介護って愚痴を言うのにも憚られるところがあるからなんか疲れる。*2

あと、勤務先が遠いのもね。片道約1.5hはしんどい。なんでJRと東武線の乗り合わせは悪いんだ?やめてくれー大抵10分は乗り換えで待つのやめてくれー!*3

実家暮らしが気楽じゃないのもね!*4まぁご飯とか用意して貰えるのはありがたいし楽なんだけど、自分のペースで生活できない。一人暮らしに戻りてぇ…

 

とはいえ、来年からまた環境が変わる予定なのでまた体に鞭打って労働に励みますよ。労働労働!!

 

では、良いお年を*5

*1:抜いたところもまだ穴が埋まってなくて食べカスが詰まって死ぬほどウザいです

*2:伝わってくれ

*3:ウエストランド優勝おめでとう

*4:もねってやめてよ!ダイヤモンド期待してたのに最下位なの悲しい…なんであのネタでいったんや…

*5:ヨイヲ=トシオ[1899〜1952]